予定外の一日

再び寝すぎた

前夜に1時くらいまで起きていて、その後朝7時に目覚ましがなり、早すぎるよなあ、と寝ぼけた頭で8時にかけなおし、それで7:50頃まで、ああそろそろだよなあ、でも結局二度寝出来なかったなあ、などと思いつつ、結局目が醒めたのが10時頃。慌てて顔も洗わずに急いでチェックアウト。
最寄の路面電車の駅である「大劇場前(Grand Théâtre)」に止まる路面電車B線は私を乗せてもサン・ジャン駅には降ろしてくれないので、歩いてゆく。「市庁舎前(Hotel de Ville)」のB線ではないもう一方の線は目指すC線ではなく、A線であったので、さらに歩いてC線とB線のともに止まる駅でC線を待つ。こういう時になると、嫌がらせのようにゆったりゆったりと見えるものだが、のろのろとC線がやってきて、サン・ジャン駅(Gare St. Jean Bordeaux)へと到着する。
当然のことながら、電車はいっていた。そもそも、10:47発の電車に市街地にいる自分が急いでも間に合うはずがない。しかたなく、駅前のカフェで朝食とも夕食ともつかないものを食べ、デザートを食べて、1時間ほどを過ごす。それでもまだ1時間。駅で待っていると20分ほど前になりようやくプラットフォームが示される。ところが、定刻5分ほど前になってちょっと周囲が騒がしい。なんだろうか、プラットフォームが変更になっていたりしたら困るなあ、などと思い掲示板を見に行くと、「retard」の文字。「tard」は遅いという形容詞だったような気がするから、要するに「遅延」ということか。

遅延

結局、15分ほど遅れて電車は駅構内に入り、自分の座席にすわる。ちゃんと自分の席、と確固とした動きではないような感じに周囲が見えたのは、どういうことなのかはよくわからない。自分はとりあえず1等の切符を持っていて、それに指定された座席につくまでのことだ。そうして腰を落ち着けたものの、今度は電車のほうも腰を据えてしまったようである。「定刻発車」思想に毒された日本人ゆえ、5分、10分でおたおたするのだろうか、などと心で思うものの、やはり正面や横に座ったフランス人だって、いらいらしていないわけでもないようだ。しかし、遅延の理由や謝罪を繰り返す日本のアナウンス(何にせよ日本のアナウンスは煩雑さの見本みたいなものではあるが、それにしてもこういうときにはあってくれたほうがよい)と違って、フランスの国鉄SNCFのアナウンスはたいがい一度きり。フランス語でばばばっと捲くし立てられても結局わからず仕舞いなのである。
そうして、およそ定刻である13:10から50分ほど遅れた14:00にボルドーを出発したTGVは、途中で20分ほど謎の停車をしたため、合計して70分ほどの遅延でバイヨンヌ駅に16:00頃に到着した。

fête

バイヨンヌ駅でとりあえずはまず、明日のパンプローナへ行く切符を確保する。パンプローナへは直通便はないので、まずスペイン国境を越えたイルン(Irùn)へ行き、そこからパンプローナ行きに乗り換えるのである。自販機では買えなかったので、どうしたものかなあ、と思っていたが、ふと思いついてレシートの後ろに行き先と経由地、時間を書いて渡したのも功を奏したのか、割に素早く切符を購入できる。
バイヨンヌの宿はなかなか宿自体がとれなかったこともあって、イビス・ホテル(Ibis Bayonne Centre)に泊まることになったのだが、なぜバイヨンヌの宿がとれないのか、と訝しんでいたのが、駅での人々の感想を見てうっすらと思い当たった。バイヨンヌの祭がちょうど行われていたのだ。ちなみに、宿で見たら最終日がちょうど7日であったようだ。
バイヨンヌの祭
バイヨンヌでは、アンリ4世関連の施設だとか、バスク関連の施設などが見ることができようか、などと思っていたのだが、街は祭祭祭で、何か見るとかそういう状態ではない。飲食店以外は店を閉じ、その前にバリケードのような感じでカウンターが作られ、そこここに飲み物を売るカウンター、あるいはバゲット・サンドイッチを売る屋台が立ち並ぶ。その中で、人々が皆赤いスカーフやTシャツを着て、お祭気分に浮かれ歩くのである。
一人きりであるので、いささか浮いた感じではあるのだけれども、赤いスカーフだけはしっかりと買って、なんとなく勝手に雰囲気を愉しむ。結構目にするのは、バスクバスク語で表すらしいEUSKADIという言葉。ここもまた、話題にそれほど上ることもないのだけれども、スペインで独立運動を行っているのと同様のバスク地方であるのだなあ、と痛感する。確かに、牛なんかもお祭の象徴としてあげられているのも、どことなく雰囲気が似ているし。もう、ここは半ばスペインであり、そしてそれ以上にここはフランスである以上にバスクであるのかもしれない。そして、この祭の熱狂というのは、バスクの解放の熱狂なのかも、などとよくわからないのにいっぱしにそんなことを考えてみたりした。
ちょうどこの日は、終わりの日でもあるため、20時くらいになると、レッカー車がものすごい活躍をしはじめた、というのも、なんとなく祭が終わってゆく淋しさみたいなものを感じさせるところではあった。そんな淋しさとともに、基本的にぼくは計画大好き人間であるため、思いがけないこの動きはずいぶんと疲れた感じを与えもした。だから、くたくたになった感じが心身ともにして、それはどうもボルドーでの2日間が涼しかったから気づかないでいた脱水症状めいたもののせいでもあるようである。今日こそは早く休もう。