サラゴサを歩く

一週間が経った

旅に出て、一週間が経った。ここ一二年の間は随分と仕事も忙しくなり、夏というとまあ世間並みに、いやそれでも世間よりは休めるのかもしれないが、七日休めれば御の字というところであったのだが、今年はたまたま、全社一斉休み、というものを敢行すべく、休みがどーんと与えられたので、十日近く休みがある。
そのため、一週間も外国にいると、ああ長いなあ、などと感じてしまう。もちろん、ぼくは学生時代などにはあまり旅行などいったりしたことがないものだから、一ヶ月だとか一年だとか旅行している人からみればぐっと短い期間なのだろうけれども、多分そんなに長い期間旅行に出るなどいったらば、ぼくは途方にくれてしまうだろう。せいぜいがところ、二週間も旅行をしていれば、それで十分に実存的な問を自分に投げかけることになろうから。よくわからんなあ。
旅行前に、たまたま谷辻さんという友人と話をしていて、「君は交渉ごととか苦手だったりする」と看破されたが、確かにぼくは交渉をする面倒くささよりも、甘受するほうを選び勝ちであるわけで、そう考えるとまた、なんだって海外に……と我ながら思うのだが、ひとつにはもともと世界史が好きである、というところから、モノを見に、たとえばそれは旧跡であったり、彫像であったり、するわけで、実にぼくは人を見に海外に来ているわけではないなあと思う。だから、言葉も上手くはならないのだけれども。あと、もう一つはぼんやりと日本のことを、いや日本のことなどという大それたことではなくて、日常のことを思い返す時間づくりというようなもので、結局海外での旅行というのは実に「非日常的」なことであるわけで、そうした「非日常」の中に放り込まれて、はじめて日常についてあれこれ考える、ということができるようになるわけだから、ぼくも相当に贅沢にできている。
いずれにしても、そういう点では「旅」にありがちの人とのふれあいに乏しいのが、ぼくの「旅行」の特色かもしれない。

イスラムの宮殿へ

アルハフェリア宮殿内部
サラゴサの中心であるピラール広場から少し外れたあたりにあるのが、アルハフェリア宮殿(Palacio de la Aljafería)である。この宮殿は英語のガイド本によると、歌劇「トロヴァトーレ(il trovatore)」の舞台となっていることで有名な場所で、なるほどエキゾチックな感じというのはする、あのからりとしていながらドロドロとした内容に相応しい舞台のような気もしてくる。
実際には、9世紀頃にそのもととなるものが作られ、後ウマイヤ朝の時代か、11世紀頃にイスラムサラゴサ太守というか、半ば独立した王というか、そんなようなものによって作られたアラブの宮殿である。サラゴサにおけるアラブ支配の象徴的な建物であったらしいが、1118年にアルフォンソ1世によって征服されると、ベネディクトゥス修道会の教会に変えられてしまった。とはいえ、外壁や内部の主要なところはイスラム建築をそのまま保存していたため、14世紀から15世紀にかけてはアラゴン諸王が利用していたらしく、有名なところでは、アラゴンとカスティージャが連合することとなるアラゴン王フェルディナンド2世とカスティージャ女王イサベル1世もここで暮らしたとか。
内部は一部開放されていて見学できるのだが、全部ではない。というのも、1985年以降アラゴン州議会がここを利用しているからで、実際ぐるりと壕の中側のほうから城を一周しようとしたら、警備員に止められた。そういえば、州議会はcortézと呼ぶようで、中世からの身分制議会もコルテスだから、ああまだこの名前なのだなあ、と軽く感動を覚えた。
中の様子は、イスラム建築という面ではモロッコチュニジアを彷彿とさせたが、あちらよりもどことなく洋風化というか、欧風化されて見易い感じはする。アーチなどがこういった形のムデハル様式になっているのをもっと見たいとしたら、やはり南のほうのコルドバグラナダあたりのアンダルシア地方にいかないとだめなのだろうなあ。
とりあえず、割合とじっくりと宮殿の見ることができるところを見て、より郊外にある駅を目指す。

そりゃないよ

駅は昨日もちらりと見たところだが、外観の近代的な様子は伊達ではなく、ものすごくきれいでちょっと見たところ空港のような趣である。当然、こんなところならばチケットの自動販売機だってあるだろう、と思ったら、なかなかこ洒落た機械があって、これで予約ができる。明日のバルセロナ・サンツ駅(Barcelona Sants)行きのチケットを購入。
時間はちょうど12時半過ぎたくらいだったので、タクシーで行けば十分間に合うだろうか、とサラゴサ博物館を目指す。ここがどうやら、美術館になっているようなのだ。
タクシーの運転手はスペイン語のみ話す人だったので、ほとんど会話にはならなかったのだが、それでもアルハフェリア宮殿の前を通るときは、「ここはいいところだよ」というようなことを言っていた。やはり、サラゴサの名所の中でもマスト・アイテム級なのだろうか。ただ、それ以外は話すこともできないので、ぼんやりと外を見ていると、午前中には涼しく、街角の温度計も25度程度を示していたのに、正午になると急速に陽射しが強くなり、30度まで1時間ほどで上昇する。この急激さが、スペインの暑さを引き起こすのだろうか、とも思うものの、そうはいっても昨年のチュニジアや一昨年のスイスのほうが、暑かったような気がする。もちろん、チュニジアは暑いだろうが。
そうして、「そこだよ」と示されたところにサラゴサ博物館があり、降りたのだが、サラゴサ博物館はなんと改修工事中で閉鎖、ということで係員の人に「ダメ」と言われてしまった。そりゃないよ。

公園と王様と

憲法通り Paseo de la Constitucion にあったちょっとお洒落な噴水 プリモ・デ・リベラ公園のアルフォンソ1世像
仕方ないので、昨日は地図を見ただけでげんなりとしてしまって止めることにしていた、フェルナンド王とアルフォンソ1世の像を見ることにした。サラゴサの南はずれのほうまで行くのである。
サラゴサ博物館からは、まずpaseoって何と訳せばよいのかわからないのだが、真ん中が軽く歩道というか、ベンチなどがある小公園のようになっている道が、paseoなのだが、それをひたすら辿ってゆく道になる。最初が憲法通り(Paseo de la Constitución)。ここを通っていたら、噴水の中でも傘をさした男女二人っていうちょっとこ洒落たものがあった。ふっとしたところにこういうのがあるなあ、と思う。
バシリオ・パライソ広場(Plaza de Basilio Palaiso)を抜けると、このパセオはグラン・ヴィア通り(Paseo Gran Via)になる。イタリア語だとヴィアは「通り」という意味なので、何か微妙に複雑である。これをずっと行き、ゴヤ通り(Avenida de D. Francisco de Goya)と交差するところで、このパセオがさらにフェルナンド・カトリック王通り(Paseo Fernando el Católico)になる。ここにまず、アラゴン王フェルナンド2世の像がある。
カスティージャとの連合王国の形成、レコンキスタの完成を成し遂げたのがこのフェルナンド2世。同時代のマキアヴェッリは理想的君主にこのフェルナンド王を挙げているが、実際彼の結構政策などもあって、この後イスパニアは世界帝国にのし上がってゆく。ちょうど、大航海時代のオンラインゲームをやっているうえに、自分のキャラクターの国籍もイスパニアであるため、嫌が応にも気持ちは高ぶる。ああ、これだねえ!という感じだ。
さらに道は続く。このフェルナンド・カトリック王通りをさらに進んでゆくと、プリモ・デ・リベラ公園(Parque de Primo de Rivera)に行き当たる。いや、正しくはそのまままっすぐ行くとフェルナンド王の妻、イサベル・カトリック女王通り(Passe Isabel la Católica)につながるのだが。
このプリモ・デ・リベラ公園の真正面にある噴水池の上に、勇ましく聳えているのが、アルフォンソ1世の像である。
アルフォンソ1世は戦闘王(el Batallador)とあだ名されるアラゴン王で、このサラゴサの街をレコンキスタで占領したのも、このアルフォンソ王によるものである。カスティージャ・レオンの女王ウラッカと結婚したため、イベリア4王国をまとめる機会に恵まれたが、カスティージャ地方の反撥が強く、結局ウラッカの没後手放すことになった。が、さらに自分の死ぬさいには、騎士団などに全部王国あげちゃいます、という遺言を残したことで、死後もお騒がせな人であったらしい。
キリスト教徒のサラゴサにとっては、やはり英雄的な人物であろうわけで、水が流れ出る上に剣をもって建っている姿はひとことで言ってかっこよいのだ。
アルフォンソ王を見て、一息ついて公園を散策していると、植物園もそばにあった。動物園ならよいのだが、植物園はそれほど心惹かれず、なんとなく見て、それでもってまたしても通りをめぐり歩いてホテルまで帰ってくる。結構歩いたのだが、どうにも貧乏性のせいか、休むということを途中でしたくないようで、ずっと3時間ほど歩き続けていたのだなあ、とふと気づいたら思った。
帰り道の道すがら、書店があったので覗いてみたが、残念ながら日本人作家の本はぱっと見て見当たらなかった。いつもは一冊くらい見つけるのになあ。新卒の同僚が、「何かお土産下さい、ワインとか」と言っていたので、まあ所望のワインも買ってあげるにせよ、彼の科目のスペイン語本を買ってあげることにした。でも、案外こういうのってわかるものかな。歴史のものも一緒に買ったけれども、うっすらとわかるし。

久しぶりの「晩餐」

夕飯まで、ホテルの近く、つまりピラール広場近くを二三週はした。とりあえず、土産によさそうな、「アラゴンの果実(frutas de Aragon)」というお菓子を数パック買って、あとはぐるぐると周る。昨晩夕飯を食べたHotel de Tiburのレストランは、接客態度もあまりよくなかったので避けよう、と思うのだが、ガスパッチョが出るのは実はそこだけ。でもなあ、と思いながら、ピラール広場とコソ通り(Calle de Coso)とをぐるぐると周る。そのうち、『地球の歩き方』の記述を思い出したのが、「R」の字が書いてあって、フォークが並んでいるところは政府公認のレストラン、そしてフォークの数が等級、ということ。これに気づいたのは、中華料理屋を見かけたときに、そこにはこの表記がされていたからなのだが。
ぐるぐると周って、ぼくが見つけた「R」の表記がある政府公認のレストランは、ピラール広場に面しているEl Realというレストラン。よく考えると、ちゃんとしたレストランにイスパニアで入るのは初めてだ。パンプローナでは基本的に風邪ぎみでそれほどに食欲はわかなかったし、昨晩は昨晩で、レストランがなかなか見つからず、ホテル経営のレストランもどきに入ってしまう始末。とはいえ、イスパニアの夏では、20時にレストランに入るのは、ちょうど日本で17時頃にレストランに入る感じで、ちょっと早いよなあ、というものらしい。今日も21時に入ったら、誰もいなかった。
ここで見たわけではないのだけれども、生ハムは削り節みたいに削りだすのだなあ、とイスパニアに来てはじめて知った。今日はその生ハムにラム・チョップという晩餐。結構お腹にはいっぱいいっぱいであった。

今日のスペイン語

naranja オレンジ

café con leche カフェ・オ・レ

zumo ジュース(特にオレンジ?)

mosto 葡萄

cordoro 仔羊

cana de cerveza 生ビール