カタルーニャへ

サラゴサの近代的な駅から

夜中0時くらいになってから、ピラール広場のあたりなのかはよくわからないが、多分若者たちの妙な動きがずっとあった。ほぼ、一晩中、誰かしらがやがやと賑やかに喋ったり、怒鳴ったり、歌う……のか喚いているのかよくわからない奇声を発したり、という状態が続いて、ぼく自身がはっきりと目を覚ましてしまったのは夜中4時くらいからなのだけれども、0時に就寝して、それでやや浅い眠りについたのかつかないのか、という具合で4時を迎えて、それからは結局一睡も出来なかった。
少し眠気のするなかで、サラゴサの近代的なデリチアス駅(Estación Delicias)に行く。空港みたいだなあ、と思ったら、実際にプラットフォームへ行くのもまた、空港のほどではないにせよ、手荷物のX線検査を受け、そして待合ロビーみたいなところに通される。電車が来る15分か10分ほど前にようやく、ゲートというか、実際のプラットフォームに下りる入り口が開けられて、そこでチケット・チェック、というかたち。
乗る電車はaltareaという急行電車で、マドリッドからバルセロナまで行く途中のものに乗り込む。軽量急行列車ということだが、割に快適。ただ、途中よく理由はわからないが、ものすごく減速して止まったりした。
この電車は通過地点が表示されるので、その点ではかなりルートもわかりやすい。それに従うと、まずリェイダ(Lleida)で停車し、その後はレウス(Reus)、タラゴナ(Tarragona)と停車して、タラゴナからコスタ・ドラダ(Costa Dorada)と呼ばれる海岸沿いに地中海を右手に望みながらバルセロナを目指す。コスタ・ドラダの向かい側には、バレアレス諸島マヨルカ島などがある。
ちなみに、到着30分くらい前に軽食とドリンクも出た。

芸術の都バルセロナ

そうして、いよいよバルセロナ(Barcelona)に到着である。バルセロナ・サンツ駅(Estación Barcelona Sants)に電車は到着。地下鉄3号線(結構駅と地下鉄駅が遠かったのだが)に乗って、リセウ(Liceu)で下車するともう、我が投宿予定のホテル・モデルノ(Hotel Moderno)は目の前だ。
ホテルでは、チェック・インできるまで20分ほど時間がかかるので、どこかで時間をつぶしてくるように言われる。そこで、カメラと『地球の歩き方』だけを手に持って、さっそく出かける。
まず、このバルセロナはひさびさの大都市なのだけれども、人の多さもびっくりするし、何より日本人観光客も随分と見た。今日一日で、今までの一週間に見たよりも多くの日本人を見かけたかもしれない。
そして、何より大きい。今までだと、一日で一回りはがんばればできる大きさだったが、ここは無理である。ただ、宿は割と名所に近いところにとってあるのが、今回のよいところだが。
宿のすぐそばを通る大きなランブラス通り(Las Ramblas)には、ジョアン・ミロのモザイクが埋め込まれているのだが、さっそくそれが宿のすぐそばにあった。そこから、まずはゴシック地区と呼ばれるバルセロナ中心部を目指す。サン・ジャウマ広場(Plaça de Sant Jaume)というところを起点にする。ちなみに、このサン・ジャウマはイスパニアで通用しているカスティージャ語で言うならばハイメ(Jaime)。バルセロナはもともとはバルセロナ伯国から起こった地域であるが、ここはここでカタルーニャ語という言語を使用していた、別種の文化の地なのである。イスパニアは、それゆえ、表記の面でも地域ごとで随分とばらばらになる。

カテドラル

ピカソの壁画
ここからカテドラル(Catedral)を目指す。カテドラルは中庭をめぐるような形で礼拝堂があり、珍しい形だなあ、と思う。今まで、中庭の周囲の礼拝堂はそれほどしっかりと使われているのを見たことがなかったのだ。中庭が中心に見えると、別にひどく気温が高いわけでもないのだが、いかにも南国風な感じがする。そしてまた、像も彩色された木像だったりすると、ますますそのような雰囲気が漂う。そして、本堂に入る。どうも、裏口から入ってしまったようなので、印象もまた逆転の方向からだから別種な感じを受けたのかもしれない。本堂の中にある礼拝堂の中では、有名だというモンセラットの聖母という像が、黒く、しかも無表情で微笑みなどもないような像で、確かにこれはかわっているなあ、と思う。
カテドラルの広場に出て、はじめて本堂側の入り口に気づいたのだが、こちらの広場にはピカソ落書き壁画がある。割と気楽な感じに描かれていて、それはそれでよい。

フレデリック・マレー美術館

王の広場、コロン提督の思い出
カテドラル前の広場でUターンする形で、また奥に入る。今度はフレデリック・マレー美術館(Museu Frederic Marèt)である。こちらは、マレーの作品を集めた美術館というよりは、マレーの収集した美術品を展示する美術館というのがよいだろうか。地階、地下、1階などに展示されている、イスパニア各地のとくに中世期の作品は、同種のものが一気に展示されていて何か異様ですらある。とくに、カタルーニャ地方のキリスト磔刑像は、どことなく明るく、大らかであり、そして全体に頭が大きめ、目も大きめ、という感じがして、印象としては暖かめな感じがした。これまた印象でしかなくて、実際はどうであるのか、あまりギリシアや東ヨーロッパにいっていないのでわからないのだが、なんとなくビザンツの美術やあるいはシチリアの美術(モンレアーレなど)に近い印象がある。カタルーニャが、シチリアまで領有していたことなども知識としてはあるのだろうけれども、なんとなく、妄想かもしれないが、ビザンツ風の影響を受けている気がした。
二階には、マレーの収集したそのほかのパイプだとか扇子だとか、写真だとか、雑多なものが展示されている。あまりに雑多すぎて、よくある田舎の個人収集家のコレクションがそのまま展示されているような、あの無秩序さを感じる。そう考えると、キリスト教美術などは素晴らしかった。
マレー自身は彫刻家なのだが、自身の作品も展示されていて、その中にはサラゴサのピラール広場にあったゴヤ像の雛型などもあり、あああれはマレーの作品であったのか、と感心する。「カール5世の入城」は誰の作品だったか忘れたけれども、これを木彫に再構築したものもあった。これまた感心。マレー美術館を出るとすぐに、そもそものマレー美術館自体がその一部であったのだが、バルセロナ伯の居城であった王宮と、その広場が広がる。この王の広場(Plaça del Rei)では、インディアス発見航海から帰還したコロン提督がイサベル女王に謁見したという階段もあり、まさにこの時代を今愉しんでいる自分としては、これまた感心である。

ピカソ美術館

カタルーニャ音楽堂
王の広場からライエタナ通り(Via Laietana)へ抜けて、そのまま北上。ガウディ建築で有名なバルセロナだが、ガウディと並ぶ建築家ドメネク・イ・モンタネールによる建築物、カタルーニャ音楽堂(Paseu de la Mùsica Catalana)を見にいったのである。さすがに、芸術的な建物だなあ、と思ういっぽうで、立派に実用にも耐えているあたりがすごくもあるし、またバルセロナの人びとがこれをしっかりと使うことにしているのもまた素晴らしいことだと思う。建築物は、やはり使われてこそのものだろう。
今度は南下して、ピカソ美術館(Museu Picasso)を目指す。バルセロナに住んでいたこともあるのだが、ここでは秘書であったサバルテスが初代館長を務めたということで、サバルテスに関する展示もいくつかあった。幼少時代の作品から、桃色の時代、青の時代の作品、そしてキュビズムの作品が展示されている。キュビズムで再構築されたヴェラスケスの『女官たち(ラス・メニナス)』とその一連の習作が展示されているのだが、一つ一つの素材(人物)をすべてキュビズムで再構築してみているのに、そこまでしていって出来たのが、あの『ラス・メニナス』なのか、とびっくりする。いや、正直それほどのものとは思わなかったというと失礼だが。
コロンの塔とランブラス通り
そのままさらに南下して、海沿いの道をぐるりと周り、コロンの塔(Monument a Colom)でランブラス通りに戻る。海は地中海。やはり鮮やかな感じがして、そういえば旅のはじまりのボルドーは大西洋に向かっている港町であったが、こうしてピレネーを越えて地中海に面した港町で旅を終えるのだなあ、としみじみとする。そして、その地中海を指しているコロン提督の像も、いかにも格好がよい。
ランブラス通りでは、屋台や大道芸人たちがひしめきあっていて、いかにも繁華な感じである。グエル邸(Palau Guell)もこの通りから少し入ったところにあるのだが、残念ながら工事中であった。

フラメンコの響き

とある理由で、フラメンコに旅行中に興味を覚えて、ぜひ見なければ、とバルセロナでの念願の一つとしていたのであったが、ホテルから近いあたり、つまりランブラス通り近くにあるフラメンコを見ることができる「タブラオ」と呼ばれるステージは2つ。1つがなかなか開きそうになくて、少し焦燥を覚えて、もう一方のほう、コルドベス(Cordobés)に行く。
フラメンコ
ここは老舗で、食事付きの60ユーロと食事なしの30ユーロの2つの選択肢があるのだが、当然直前に慌てていったわけで、食事なしコースである。何が違うかというと、食事付きのほうは正面席に入れてもらえるが、食事なしはサイド席に割り当てられる、というあたりにこの値段の違いが大きく響くようである。ちなみに、場内の日本人率はひさびさなまでに多い。もちろん、他の外国人観光客などもいるのだと思うが、日本人率の高さたるや驚くほどである。やはり、日本人は「文化」に弱いのだなあ、と思う。まあ、自分は文化ともいえないかもしれないような、単にれいなの煽情的可愛らしさに導かれて、フラメンコなんか見ることにしてしまったので、「文化」に弱いとか評している場合ではないのだが。ひさびさに「ビールですよ」と日本語で話しかけられたりという体験もあった(たまたま、後ろに座っていた日本人家族客にぼくの頼んだビールを回すように指示があったみたい)が、全体には、割とおもしろかった。総じて民俗舞踊という印象は強く、まったく別個のダンスではあるのだけれども、たとえばアイリッシュ・ダンスを見ているときの感覚と通じるものも多かった。そして、逆に「イメージ」としてのフラメンコというのは「情熱」とかに代表される激しいダンスという感じがするのだが、もちろん激しいには激しいが、とくにそれは足元が激しいのだなあ、ということで、どことなくイメージとは違うのだなあ、と思った。もっと上半身が激しく動くかと思いきや、そうでもないのだ。

今日のスペイン語

zopa スープ

avò 鳥

calabaza カボチャ

conejo 兎