ガウディの街

聖家族教会

サグラダ・ファミリア、遠景 サグラダ・ファミリア、近景
やはり、睡眠不足のままにバルセロナ観光に突入、というのは疲れたらしく、しかも昨晩はビールを頼めばうっかり1リットル頼むし、ワインはワインでハーフボトルにしても一人で一瓶開けざるをえないし、で結構酒量も多かった、ということも言い訳にして、また10時頃に起きる。明日はこの時間にはバルセロナ空港で出発待ちをしているくらいである。
朝食をとってから、バルセロナは地下鉄がしっかりとあるので、早速地下鉄に乗る。リセウ(Liceu)駅のすぐそばなので、まずここでLinea 3という線に乗り、パラル・レイ(Paral-Lei)駅で乗り換えて今度はここが始発のLinea 2に乗ってサグラダ・ファミリア(Sagrada Família)駅で降りるとすぐ、サグラダ・ファミリア、今もまだ建設中のガウディ設計による聖家族教会が目の前だ。
建築中なので、中には資材があったり、これからとりつけられる部品があったりと、何かかなり妙なものを見ているような感じになる。普通ならば、シートなどで隠されるようなものが、すべてむき出しであり、あたかも舞台裏に迷い込んだかのようだ。サグラダ・ファミリアはぐにょぐにょしているようで、細かな彫刻がいっぱい施されているのは、建築士の友人が以前ここを訪れたときに撮った写真で知っていた。実際見てみると、イメージしていたよりもきっちりしたものなのだなあ、などと思うものだが、やはり通常の建築物なんかにくらべると、圧倒的にくねくねしているような感じは免れない。建築士の友人などは見て資するところがいろいろとあったようだけれども、ぼくのようなものにとっては、なるほどねえ、程度である。
莫迦と煙は高いところに上りたがるが、観光客もまたそうであって、リフトとかエレベーターとなるとものすごい列ができる。ここでも、ひどく並んでいて、正直並ぶことは極力避けたいぼくとしては、あまり気が進まなかったが、とはいってもこのなんというかはっきりしない印象だけでサグラダ・ファミリアを片付けてしまうのも、いかがなものかなあ、と思って並ぶ。
下手すると、エレベーター待ちの時間がいちばん長かったのかもしれないけれども、そうはいっても半時間もしないでエレベーターに乗ることができた。そのまま乗って、上って、降りて、そんな感じであったが、階段の途中から覗くキリスト像などを見ると、これは正面や裏口にある彫像などにもいえることなのだが、全体にトーンが柔らかで落ち着いている。そして、これはまた気のせい、勘ぐりの類かもしれないけれども、前日にフレデリック・マレー博物館で見たカタルーニャ風のキリスト像の持つ、柔らかさ、暖かさに通じるものがあるような気がした。
あと、ギフト・ショップに売っているガウディをかわいらしくしたマスコット・キャラクターがなかなか可愛らしくて、小皿というか、陶製のコースターを1枚買ってしまった。荷物になるからいやなんだけれども。
そうそう、もう一つ。建築中ということで、このサグラダ・ファミリアは教会だけれども教会ではない。教会以前の存在であるようで、教会などでは基本的に隠される肌露出が一切制限されておらず、何かすごいねっていう感じだった。まあ、それで教会っぽい雰囲気とかあったら、また亢奮があったかもしれないけれどもねえ。

モデルニスモ建築の並ぶグラシア通り

カサ・バトリョとカサ・アマトリェール
サグラダ・ファミリアからまた地下鉄に乗り、今度はLinea 5で二つ先の駅ディアゴナル(Diagonal)で下車。ここからグラシア通り(Passeig de Gràcia)を南下してゆくと、ガウディをはじめとしたモデルニスモ建築の建物をいくつか見ることができる、という便利至極な通りなのである。もちろん、建築物それ自体に興味がある、というよりも風情くらいにしか興味はなかったので、中には入らないつもりである。
まず、早速目に入ってくるのがカサ・ミラ(Casa Milà)である。ガウディの建築というと、どうしても「くねくね」以外の言葉が思い浮かばないのだが、横にくねくねしているという感じであろうか。一応、テーマ的にも「徹底的に直線を排除してゆがんだ曲線を主調とする」のだから、まあ「くねくね」というのは至当な言葉ではあるようだが。
続いて、カサ・バトリョ(Casa Batllò)とその隣にあるカサ・アマトリェール(Casa Amatller)。カサ・バトリョは蟹とか伊勢海老などのような甲殻類の触覚みたいなものをあしらった、とはいえ多分イメージ的には騎士とかそのようなものなのかなあ、という建物。その隣のカサ・アマトリェールはガウディではなく同時代のやはりモデルニスモの建築家であるプッチ・イ・カダファルグという建築家によるものらしい。こちらのほうは、基本的に「カクカクカクカク」している建物で、何か「書割」をそのまま家にしてみました、というようなものだった。
そして、さらに南にゆくとカサ・リェオ・モレラ(Casa Lleò Morera)。こちらは前日に見たカタルーニャ音楽堂と同じ建築家ドメネク・イ・モンタネールの作品。こちらは柱を装飾として使う、というのがテーマなのかな、というくらいに、窓などもギリシア風の柱で区切られ、角の張り出しの部分にも多用され、そして張り出し自体が柱を数箇所切ったかのような形になっている。
全体にガウディの建築は建築物として優れているのかどうか、よくわからない。というのも、建築物本来の目的に使われる以前に、ガウディのあまりの知名度のためか、すべて博物館などになってしまっているからだ。だから、本来は実用に供されているカサ・ビセンス(Casa Vicens)やカサ・カルベ(Casa Calvet)などを見ないといけないのだろうけれども、見なかったのだから、しかたない。一方、ドメネク・イ・モンタネールの作品は、実用にもされていて、割とおとなしいものではあるけれども(カタルーニャ音楽堂は結構激しいと思う)、たしかに建築家としての名声っていうのもわかるなあ、と思った。
昼ごはんはこの通りにある、タペリア(Tapelia)という店でとる。何より残念だったのは、パエリャ類はすべてお2人様から、ということになっていたので、多くの客がパエリャのおいしそうな匂いをさせている中で、食べられなかったことなのだが、とはいえ全体にお洒落かつ美味しく、伝統的なスペイン料理をこ洒落た感じにまとめているという感じ。これが、創作和食みたいなものなのかなあ。通じるものはあるなあ、と思う。

ジョアン・ミロ

ミロ美術館
午後は、そのままパセジ・ダ・グラシア(Passeig de Gràcia)駅からLinea 2でパラル・レイ駅に行き、ここからフニクラル(Funicular)というものでモンジュイックを目指す。フニクラルはまあ、一応ナポリのフニクラーレなど同様登山電車っぽいものではあるのだが、実用優先で景色などは全然見えないから、これはこれで「フニクラル」というものなのだ、と考えることにした。
モンジュイックにはジョアン・ミロ美術館(Fundaciò Joan Mirò)がある。荷物を一時期預かるロッカーなども赤、青、黄、緑など、原色に塗られていて、ちょっとお洒落な感じである。
ミロの作品として、入り口に近いあたりには挿絵(多くは版画なので、元版と刷られたものとが展示されている)、中ほどから絵画・彫刻作品が展示されている。挿絵はダダイストシュールレアリストなどとの関係が強く、トリスタン・ツァラポール・エリュアールアルフレッド・ジャリなどの名前が著者名にはあった。とくに、アルフレッド・ジャリの『ユビュ王(Ubu Roi)』についてはミロも随分と思い入れがあったらしく、自分で詩をつけた『ユビュとバレアレス(Ubu i Baleares)』『ユビュの子ども時代』を書いて三部作に仕立てた。それがすべて展示されているようだ。
ここは、英語・フランス語の掲示もあるため、かなりわかりやすい。
彫刻や絵画作品を見ていて思うのは、ミロの作品はさっぱり理解できないことである。抽象的な絵だったりするわけで、さっぱり何を示しているのかよくわからないうえ、ミロは割と平気で題をつけなかったりする。つけてあの題なのかしらないけれども、多くの作品が“painting”とだけ書いてあった。「絵」って、それはないでしょ、という置いてきぶりである。しかし、なら、じゃあこちらだってあんたが何を描いたのか何て考えないからね、という態度になって、それはそれで見ることができるし、楽しめるのである。だからまあ、ミロはわからないけれども、好きは好きかなあ、という画家であるといえるだろう。わからないけれども、好きって、結構世の中にあることだから、ミロが増えたところで問題もないだろう。

地中海クルーズ

コンテナの積卸
ミロをじっくりと見て、さらにゴンドラで城まで上ろうか、と思ったのだが、ゴンドラが動いている様子を見せなかったので、歩いて上るほどの気持ちもさらさらなかったぼくは、街に戻ることにした。再びフニクラルに乗って、そのまま地下鉄駅とつながっているので、今度はLinea 3で次の駅ドラサネス(Drassanes)である。
ドラサネスはコロン提督のモニュメントに至近の位置にある地下鉄駅で、つまりは海が近い。海にはゴロンドリーナという周遊船があって、これでちょっとだけ海からのバルセロナでも見ようという心積もりである。1時間半かけて他の地域までゆくのは、これから半時間くらいあとにようやく出発ということなので、35分だけのだったらばすぐ出発らしいからそちらに乗る。
海運の街として今でも発展しているバルセロナらしく、もちろん観光での船による足も発達していて、ここからバレアレス諸島(マヨルカ島とか)だけでなくて、シチリア島チュニジアなどにも船が出ているという。しかし商業船も多く、ちょっと港から出るとコンテナの積卸をしている光景が目に入る。港町横浜に住んでいる割に、そうした積卸の作業って始めてみたなあ、と思いながらも、35分の周遊だと、何か遊泳禁止区域に出ちゃダメ、レベルで引き返すような手っ取り早さがある。
ただ、直射日光のあたる席に座っていたら、一気に疲れて、引き返すときには二度三度、うつらうつらと寝そうになった。

二度目のフラメンコ

今日は、前夜に行こうと思っていたタブラオにいってみた。ロス・タラントス(Los Tarantos)というタブラオで日によって演者が変わるので、前日も見ればよかったなあ、と思う。ちなみに、今晩の演者はアルマカレ(Almacalé)というグループ。コルドベス(前夜のタブラオ)のようにギターのみではなくて、ギター、エレキベース、ヴァイオリン、あとパーカッション的に箱のようなもの、その上に乗って叩いたりするのだが、それ、という形で楽器演奏は4種。あと、フラメンコの踊り手と歌い手とが別の人で一人ずつ、と全部で6人。コルドベスはギターが最高5人、踊り手も8人くらいと人数的には圧倒的に多かったのだが、そのほかの違いとしては、広さ(そして収容人員)があり、コルドベスはかなり広かったが、タラントスはいちばん後ろでもそこそこの距離で見える。また、曲目も今回のアルマカレは半時間強の半分ほどは踊りなしの歌、後半で踊り、という感じだったが、コルドベスは約1時間強歌あり踊りあり、踊りも男女のソロあり、コンビあり、男女混合あり、と種々。だから、伝統的なフラメンコをちゃんと見たい、という人はコルドベスのほうがよいのだろうし、手軽に身近な距離でちょっと愉しみたいという人にはタラントスのほうがよいのだろう。その結果か、日本人客はコルドベスは呆れるほど多かったが、タラントスはほとんどいなかった。
フラメンコに関しては、やはりタップが重要なダンス、という印象はあいかわらず。もう、ほとんど痙攣のようにタップを踏んでいた。